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弥生三月

  寒さが和らぎ、光に明るさが増して、鮮やかな色が日ごとに加わっていくこの季節。昨年、ちょうどお彼岸にお亡くなりになった汐見文隆氏ののご葬儀に参列するため、紀州に向かった。由良町の風車被害者Tさんは葬儀に向かう道中に目にしたヤマザクラが印象的だったようで、本居宣長の歌を添えて、汐見氏への哀悼の気持ちを表されていたが、私も紀州路の車窓から見たヤマザクラが目に焼き付いていた。人里には菜の花や桃の花、モクレンなどの花が彩りを添えるものの、山は新緑にはまだ早く、無彩色のくすんだ樹林の中でヤマザクラの白い姿は際立っていた。

  それから、暫くして実母が急逝し、11月にはまたTさんも突然、あの世に旅立った。大切に思う人たちとの別れは誰にとっても辛いものであるが、闘いの最中にある私にはあまりにも辛い別れが続いた。

 汐見先生の御葬儀のときに、「ご自由にお持ち帰りください」と著作物や冊子が参列者に提供されていたので、私は1部ずついただいてきた。
 これから、そのうちのいくつかを紹介していきたいと思っている。まず、「低周波公害ハンドブック」。副題が「見捨てられた被害者のためのQ&A」。発行は1994年で、その頃から今に至るまで、低周波音被害への対応はほとんど何も変わっておらず、汐見先生が主張された内容は今でも十分通用し、被害者が知っておかねばならないことが簡潔に記されている。これらの著作を管理する「風力発電の被害を考える会」世話人代表の松浦攸吉氏に相談したところ、自由に転載してもよいという許可を得たので、これからブログで少しずつ公開し、低周波音被害をライフワークとされた汐見氏の言葉を伝えていきたいと思う。


低周波公害ハンドブック

見捨てられた被害者のためのQ&A

img180.jpg

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2017-03-03 08:38 : 雑感 : コメント : 0 :

ブログ移設と再開

旧ブログはサービス終了となり、FC2ブログに移行することになりました。旧ブログ中の「風力発電被害者の独白」は、「我が家の低周波音被害」で公開していますので、削除しました。暫く更新していなかったブログですが、これを機に再開していきたいと考えております。
2017-03-02 09:06 : 雑感 : コメント : 0 :

ある夏の朝

また今年も、蝉が賑やかに鳴く季節となった。この集合住宅で迎える3度目の夏。その蝉の鳴き声は昨年の事を昨日のことであるかのように思い出させる。

 昨年のある日曜日、朝8時半ごろ。チャイムが鳴ってインターホンを取ると消防署。隣室から非常ベルが鳴リ続いており、当方のベランダを通って隣室へ行きたいという。本物の消防隊員なのかどうか、ベランダから外を見ると確かに消防車が止まっている。高気密のこの部屋は、ほとんど外の音が聞こえない。慌てて、部屋に入ってもらった。

  9Fのベランダから手すりを乗り越え、隣室に入る消防隊員。猛暑の中、長袖・長ズボン・長靴(非常に重い)という、重装備で身軽によく動けるものだ。非常事態に備えて訓練を欠かさない隊員の逞しさに敬意と感謝の念が自然と湧いてきた。隣家の窓はロックされており、入室するには窓ガラスを壊すしかない。消防署やURとのやり取りの中で、隊員から“空き家”という言葉が発され、鍵が届けられるまで待機ということになった。「空き家? ベランダには植木鉢があり、空き家であるはずはないと思う。」と伝えた。

  当方はこの部屋に住んで1年4か月。同じフロアに8戸の部屋があるが、残念ながら、その間、顔を合わせたのは数人で回数も数えるほど。入居時、何度か、隣室にも挨拶には行ったが不在だったので、隣人も定かではなく、家族構成もわからない。そして、それから1時間半ほどして、消防隊員が再び、当方ベランダから隣室へ。すなわち隣室は内側からロックされており、鍵があっても開けられなかったということだ。不吉な予感。窓ガラスを割って突入。そして、玄関から複数の消防隊員が入室。

 「女性一人発見」の声。時、既に遅かったようだ。隣人が救いを求めて、非常ベルを鳴らし、しかし、壁一枚隔てた当方にはその音が聞こえない。ちょうど盛夏。一晩中クーラーをつけ、窓を閉めたままの部屋には非常ベルの音は、かすかに聞こえる電子音並の音に過ぎない。6時半ごろ目覚めた時に家人がアラームをかけていると思っていた。静かにしていると聞こえるが、動いていると気付かないかすかな音が、救いを求めていたとは。
 なぜ、最初に突入できなかったのか。なぜ、“空き室”という言葉が出てきたのか。その言葉をはっきりと否定できていれば、助かったかもしれない。いろいろな疑念と後悔が湧いてくる。

 隣人であった女性は一人住まい。高齢のご両親がともに病床にあり、姉妹それぞれが面倒を見ておられたと、後日、ご遺族より聞いた。救いを求めての非常ベル。長時間、虚しく鳴り響いたであろう音。死者のご冥福を祈りたい。




2013-07-02 23:09 : 雑感 : コメント : 0 :

ゴミ屋敷

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120827-00000103-san-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120827-00000102-san-soci

写真は大阪鶴見区の住宅地。周辺住民は、ゴミ屋敷から発生する虫やネズミと、悪臭に辟易し、景観の悪化に目を覆う。

「ゴミも家主の財産」と行政は手をださず、20 年が過ぎた。周辺住民の苦悩は「老い先も短いのに、このままゴミに囲まれて死んでいくしかないのか」という言葉に表現される。
 だが、とうとうこの9月、大阪市は重い腰をあげ、「ゴミ屋敷」の実態調査を始めることになった。

 現在の法律では、自治体はこのようなゴミ屋敷に対し、「なすすべがない」状態であるが、時代の変遷とともに、新たな問題が出現するのは当然のこと。社会の変化に柔軟に対応するためは、法の整備を行う必要があるが、20年間「なすすべがない」状態であったというのは、行政が無為無策のまま、周辺住民の人権を無視してきたとしかいいようがない。

 この「ゴミ屋敷」の家主には、道にはみ出た屋外の「ゴミ」でさえ財産として認められ、行政は強制撤去をしない。他方、その周辺住民は、健康で文化的な生活をする権利を長年、侵害されてきたにもかかわらず、その被害は認められず、我慢を強要されてきた。結果、「ゴミ屋敷」の家主には、お咎めもなく、自己放任(セルフネグレクト)という保護を必要とする状態とみなされ、家主を救済、支援するという手厚い対応がなされるそうだ。
 つまり、この「ゴミ屋敷」の家主の健康を守るために、ゴミの強制撤去がなされ、福祉の観点からの問題の解決が試みられる。とりあえず、このような「方便」でゴミの撤去がなされるのだろうが、そんな手段しかないことに疑問を持つ。長年にわたり、多くの周辺住民に迷惑をかけてきた「家主」の保護を大義名分として掲げ、福祉という言葉を便利に使い、周辺住民の権利は後回しということに違和感がある。

 社会福祉を否定するつもりはない。しかし、反発を覚える。当方は健康や財産を脅かされ、避難生活を余儀なくされており、誰にも迷惑をかけず、納税義務を果たしていながら、その人権を行政に守ってもらえず、必要な行政サービスを受けることができないという不公平感があり、それで一層強く反発を感じるのだろうか。

 いじめ事件も、風車被害も、低周波音被害も「因果関係は明らかではない」という言葉で、被害者は切り捨てられる一方、加害者側は保護される傾向が強いが、そのような現代の風潮に憤りを感じる。
2012-09-17 23:22 : 雑感 : コメント : 0 :

控え目

司馬遼太郎の“街道をゆく 近江編”で、農村部のある集落を語るなかに、次のような一節がありました。

「どの家も、立派な門構えである。驚いたのは、それぞれの家がお互い控えめに家を建てていることである。」

 司馬遼太郎がどのような意味で、“控えめ”といった言葉を使用したのかわかりません。周囲から目立つことなく、調和しているといった意味なのか、財をひけらかすことなく、奥ゆかしい建築だったのか、日照など隣家に迷惑をかけないように、気遣いをした建築なのか、定かではありませんが、一度、この集落を訪ねてみたいと思います。もう、昔の美徳は消滅し、この集落も変化しているでしょうが、まだその名残はあるでしょう。世知辛い、拝金主義に侵された世の中では、隣家のことなど微塵も配慮することもなく、目を覆いたくなるような住宅が目立つようになってきています。

  今は他界した義母の土地は住宅密集地にありました。隣家は庭を少しでも広くするために、土地の境界からわずか18cmのところにまで壁が迫り、道路間際まで家が張り出しています。義母は阪神大震災で自宅が全壊となり、その地に自宅を再建しました。義母も隣家同様に、境界ぎりぎりに家を建てるよう工務店に注文しましたが、棟梁は1mの幅をとることを頑として譲りませんでした。以前より、義母はその棟梁の技術を信頼していましたから、義母の希望を優先する工務店もあったものの、最終的に棟梁の仕事を選び、小ぢんまりと頑丈な家屋が建ちました。棟梁は強い倫理観を持ち、仕事に誇りを持ち、営利目的のみで家を建てていたわけではなかったと思います。

  指物師だった私の祖父は、戦後、大工となり、家の建築に携わっていました。職人気質の祖父は丁寧な仕事しかできず、手抜きの数勝負の工務店が急成長していくのを傍目に、祖父は、小さな店で納得のゆく仕事をして満足していました。祖父の仕事場を見たことがありますが、手入れの行き届いた多種多様な道具が整然と並べられ、身の引き締まる思いがしました。

  最近、品のない家が増えてきたことは残念なことで、行政にはもっと街並みを守る規制をしていただきたいと思います。建築に携わる人々の倫理感が失われつつある現在、美しい街並みを守るには厳しい規制が必要となりました。せっかく郊外に造成し、美しく整ったニュータウンですが、20年ほど経過すると、住民の入れ替わりや代替わりで、解体・新築が行われるようになります。住宅密集地のような建蔽率、容積率の設定では、郊外の良さが損なわれていく危険があります。現在の不況の下、古家つきの住宅地がなかなか売れず、住宅地を2分割して、建蔽率・容積率上限いっぱいの住宅を2軒建築する傾向が各地で見られますが、地域住民の意識は低く、建築協定を作るエネルギーを持ち合わせていないようです。建築基準法は最低限の守るべき線であり、推奨基準を示している訳ではないはずです。法に違反しなければ何をしても良いと考えるのは、いかがわしい商売をする人たちですが、こと住宅に関していえば、大手ハウスメーカーも施主も普通の人達が堂々と、胡散臭い連中と同じことをしているように思います。
2012-01-02 23:15 : 雑感 : コメント : 0 :
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